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東京地方裁判所 昭和28年(ワ)127号 判決

原告 小泉勝 外四名

被告 株式会社国分商店 外一名

主文

被告等は連帯して、原告小泉勝に対し金二十一万四千九百四十六円、原告小泉武、同菅谷喜代子、同坂井ちか子、同鈴木公枝に対し各金十三万円及びいずれもこれに対する昭和二十八年一月二十二日から支払済まで年五分の割合による金員を支払うこと。

原告その余の請求を棄却する。

訴訟費用はこれを二分し、その一を原告等の負担とし、その余を被告等の連帯負担とする。

この判決は、原告等において各金三万円の担保を供するときは、第一項の各自の勝訴の部分に限り、仮りに執行することができる。

事実

(双方の申立)

原告等は、被告等は連帯して、原告小泉勝に対し金四十四万四千九百四十六円、その余の原告に対し各金三十六万円及びいずれもこれに対する訴状送達の翌日(昭和二十八年一月二十二日)から支払済まで年五分の割合による金員を支払え。訴旅費用は被告等の連帯負担とするとの判決並びに仮執行の宣言を求め、被告等は請求棄却の判決を求めた。

(原告等の請求原因)

原告等の実母小泉まつは、昭和二十七年十一月四日午後五時頃、台東区竹町十五番地の自宅を出て竹町大通り西側の小川呉服店前を通り、大通り東側の鳥越商店街へ行かうとして、南北に走る右の大通りを右呉服店前からやや斜に東南方に向つて横断し、東側歩道の約一間三尺手前まで来た時、被告井口宏が運転する被告株式会社国分店会(以下、被告会社という)の小型貨物自動車が右大通りを北方の都電竹町停留所方面から南進してきて、小泉まつの左後方から同女に衝突した。まつはその場に転倒し、頭蓋底骨折の傷害を受け同日午後九時五十分右傷害のため死亡した。

右の衝突事故の現場は幅六間の道路で見通しは良好であり、交通も頻繁でない所である。自動車の運転手は前方に歩行者を認めた場合には警笛を吹鳴して歩行者に警告を与えると共に、その位置、動作等に注意し、挙動に応じ何時でも停車し得るように速度を減じ、或いは道路際を避けて進行する等の措置をとつて、事故の発生を未然に防止すべき業務上の注意義務があるのに、被告井口は右の注意を怠り前記事故の際は警笛も鳴らさず、時速四十粁以上の速度で疾走し、しかも、小泉まつの右側を進行すべきものであるのに左側後方から激突したものであるから、まつは被告井口の過失によつて轢殺されたものである。

被告井口は被告会社の被用者であつて、本件事故は被告井口が被告会社の商品の運搬中に惹起したものであるから、被告井口は不法行為者として被告会社は被告井口の使用者として被告井口と連帯して損害賠償の責任がある。

まつは行年六十七才であつたが、すこぶる健康体で、心身の機能は年よりも十年も若く、本件の事故さえなかつたならば長寿を完うし得たことはたしかである。まつの実子である原告等はみな既に独立しており、勝は時計卸業を営み一ケ月千五百万円以上の取引高を有し、武も同業者として独立の地位を築きつゝあり、喜代子、ちか子及び公枝はいずれも相当の家庭に嫁し、みな中流以上の生活を営んでいるものである。しかして、まつはその最期の日まで原告等の家庭を順次訪問して、何くれとなく好意に満ちた世話をし、一門一族の平安と繁栄を喜び、安楽の境遇にあつてその生存を楽しんでいたものであり、原告等も亦母の健康を喜び、その長寿を祈念していたものである。しかるに、まつは突然本件事故によつてその貴重な生命を失つた。まつ本人はもとより原告等の精神的苦痛はまことに絶大なものがあり、これに対する慰藉料は各自金三十万円を以つて相当とする。しかして、まつの死亡により、原告等五名はまつの慰藉料請求権を相続し、各自金六万円の請求権を承継したものである。

また、原告小泉勝は本件事故のため、輸血手術代、通信費、交通費及び葬儀費用として合計金八万四千九百四十六円を支出し、同額の損害を蒙つている。

以上のとおりであるから、被告等に対し、原告小泉勝は葬儀費用等の外承継及び固有の慰藉料合計金四十四万四千九百四十六円、その他の原告等は右の承継及び固有の慰藉料合計金三十六万円及びいずれもこれに対する訴状送達の翌日(昭和二十八年一月二十二日)から支払済まで年五分の割合による損害金の連帯支払を求める。

(被告等の答弁)

(一)  被告等の認否

被告井口の運転する小型貨物自動車が原告等主張の日時場所において小泉まつと衝突し、同女に原告等主張のような傷害を与え因つて同女が原告等主張の頃死亡したことは認めるが、その他はすべて争う。

(二)  被告等の主張

(1)  被告井口には過失がない。

被告井口は訴外土屋英樹が経営する土屋運送店の従業員であつて、被告会社の商品を顧客先へ配達し、その帰り途に本件事故を起したのであるが、当時相当雨が降つていたので、被告井口は特に事故の発生を警戒し、速力も時速三十粁程度に落し、よく前方を注視しながら運転していた。ところが事故発生現場附近にさしかかると、約十五米前方の道路中央に洋傘をさした婦人(被害者小泉まつ)が立ちどまつているのを発見したので、直ちに警笛を鳴らし、速度を二十三粁位に落したのである。被害者は道路を横断歩行しつつあつたのではなく、道路の中央に立ちどまつていたのである。被告井口は自分の鳴らした警笛で被害者が自動車の接近に気付き、自動車が通過するまで当然そのまま立ちどまつていてくれるものと考え、被害者の左側を通過しようとしたのである。丁度その時、二台の自動車が前照燈をつけて反対方向から進行してきたため、被告井口はその強烈な前照燈に瞬間眩惑されて視界を失つた。視野を回復したときは意外にも被害者は歩き出しており、車の前方わずか三米位の所にいたので、被告井口は直ちに急ブレーキをかけるとともにハンドルを左に切つたが間に合わず、遂に被害者に衝突したのである。被告井口が反対方向から来る自動車の前照燈の強い光に瞬間眼がくらんで適当な処置をとることができなかつたのは甚だ遺憾であるけれども、これは偶然の出来事であり、人力の如何ともなし難いところであるから、本件事故は被告井口の過失によるものではなく、不可抗力により発生したものといわざるを得ない。

(2)  被告井口は被告会社の被用者ではない。

被告井口は前記のとおり訴外土屋運送店の従業員であつて、被告会社に雇われている者ではない。被告会社は醤油、味噌、酒類その他食料品の販売と貸室業等を営む会社であつて、運送業などを営む会社ではない。被告会社は手広く営業しており、多量の食料品を取扱つているので、自から運搬するとなると二台や三台の自動車では間に合わないので、訴外土屋英樹の経営する土屋運送店に食料品の運搬を請負わせていたのである。土屋運送店は被告会社所有の国分第三ビルの一部を被告会社から賃借して被告井口外数名の者を雇い入れ、土屋英樹所有の自動車を使用する外、他の運送店からも運転手附で自動車を借入れ、主として被告会社の食料品の運搬を請負つていたものであつて、被告会社と土屋運送店は全く別個独立の企業である。もつとも土屋所有の自動車は所轄官庁に対しては被告会社の所有に係るものとして届出てあるが、右は、土屋英樹の依頼により同人が一般運送請負業として運送営業をなしうるように便宜、被告会社の所有名義を貸与したにすぎないのであつて、真の所有者は被告会社ではなく、訴外土屋英樹なのである。

右のように、被告会社と土屋運送店とは法律上はもとより、事実上も全く別個の企業である。被告井口は土屋運送店に雇われている自動車運転手であつて被告会社とは何等の関係もない。被告会社と被告井口との間には雇傭関係は勿論のこと、選任、監督の関係もなければ、指揮命令の関係もない。従つて、仮りに被告井口に本件事故につき不法行為上の責任があるとすれば、使用者としてその責任を負うべき者は土屋運送店の経営者たる土屋英樹であつて、決して被告会社ではない筈である。

(3)  過失相殺を主張する。

(1) で述べたとおり、被告井口は十五米手前で警笛を鳴らして、被害者に注意を与えたのであるから、被害者は当然自動車の進行に注意し、そのまま立ちどまつて自動車の通過を待つか、又は自動車の通過前に急いで道路を横断すべきものである。もし被害者が道路通行者として当然守るべきこれらの注意を怠らなければ、本件事故は生じなかつたものである。しかるに被害者は、前記のように、警笛をききながら漫然歩き出したため本件事故が生じたのであるから、被害者にも重大な過失がある。のみならず、被害者は横断歩道以外の個所を横断し、しかも斜横断をしているのであるから、この点も被害者の過失といわなければならない。よつて、被告等はもと被告等に賠償責任があるとすれば過失相殺を主張する。

(4)  損益相殺を主張する。

被害者は死亡当時六十七才であつたから、原告等としては被害者を扶養すべき立場にあつたことは明らかである。従つて、原告等は被害者の死亡により将来支出すべき扶養料の支払を免れた。

また、仮りに原告勝がその主張のような葬儀費用を支出したとしても、人間は何時かは死ぬべきものであるから、いずれ葬儀費用の支出は免れないものである。

支出を免がれた扶養料と葬儀費用は本件事故による損害と損益相殺さるべきものである。

(証拠関係)

原告等は、

甲第一ないし第五号証、第六号証の一、二第七号証、第八ないし第十号証の各一、二、第十一号証、第十二号証の一ないし四、第十三ないし第二十二号証、第二十三号証の一ないし四、第二十四ないし第二十六号証を提出し、

証人坂井三郎、原告小泉勝及び小泉武の各供述を援用し、

乙第一ないし第四号証、第五ないし第七号証の各一ないし三の成立を認め、第八、第九号証の各一、二の成立を否認し、第九号証の三及び第十号証の成立は知らないと述べ、

被告等は、

乙第一ないし第四号証、第五ないし第七号証の各一ないし三、第八号証の一、二、第九号証の一ないし三、第十号証を提出し、

証人土屋英樹(第一、第二回)、吉野一雄、荻島正一、久保田和作、松本多郎兵衛、中井辰吉及び被告井口宏の各供述を援用し、甲第三ないし第十一号各証、第十三ないし第二十二号証、第二十四号証、第二十六号証の成立を認め、その他の甲号証の成立は知らないと述べた。

理由

(一)、小泉まつの死は被告井口とまつ本人の共同の過失によるものである。

小泉まつが、昭和二十七年十一月四日午後五時頃、東京都台東区浅草鳥越一丁目十七番地先道路上で(場所の点は成立に争のない甲第十五号証によつて認められる)、被告井口の運転する小型貨物自動車と衝突して頭蓋底骨折の傷害を受け、因つて同日午後九時五十分死亡したことは当事者間に争がない。

証人坂井三郎の供述により成立を認めうる甲第一号証、成立に争のない甲第十六、第十八、第二十一、第二十二号証並びに証人荻島正一及び被告井口の供述によれば、次の事実が認められる。

(1)  被告井口は小型三輪貨物自動車を運転し、下谷稲荷町方面から神田美倉橋方面に通ずる電車軌道の布設してない幅員二十二米の舗装道路の左側車道を時速約三十粁の速度で南進していた。右の道路は自動車その他諸車の往来すこぶる頻繁な、見透しのよくきくところである。当時降雨があつた。

(2)  小泉まつは洋傘をさして道路の西側から東側に向い、やや斜に道路を横断していた。まつが横断していた個所は横断歩道ではない。

(3)  被告井口は、まつが道路のほゞ中央に進んだころ、約十五米手前でまつの姿を発見したので、直ちに警笛を鳴らした。まつが立ちどまつたように見えたので、無事に通過できるものと考え、速度を二十二、三粁に落して進行を続けた。その時、反対の方向から二台の自動車が前照燈をつけて進行してきたため、被告井口はその前照燈の光に一瞬眼がくらんで、進路を見失つたが、まつは道路の中央に立ちどまつていてくれるものと思つて、二十二、三粁の速度を保つてそのまま進行した。同被告が視界を回復したときは、まつは約三米前方を右から左へ歩いていたので、あわててハンドルを左へ切つて急ブレーキをかけたが、避けきれず、車体の前部を左後方よりまつに衝突させたのである。

前掲甲第一号証中右の認定に反する部分はにわかに信用できないし、他にこの認定を左右するに足る資料はない。

右に認定したところからすれば、本件衝突は、井口被告がまつが道路中央に立ちどまつていてくれるものと軽信して、視界を見失つたにかかわらず、二十二、三粁の速度で漫然と進行した不注意と、まつが自動車の往来に十分気をつけず、避譲の措置もとらずに道路を横断しようとした不注意が相互に競合して生じたものといわなければならない。被告等は、被告井口が前照燈に眩惑されて視界を見失つた点をとらえ、こうしたことは偶然の出来事であるから、本件事故は不可抗力によつて生じたものであると主張するが、決してさように考えることはできない。自動車の運転手が反対方面から進行してくる自動車の前照燈に眩惑されるということはしばしば起る事例であるから、これを偶然の出来事などといつてかたつけることはできないし、また、こうした場合に道路を横断しようとする者のいることがわかつているときは、運転手は衝突の危険を避けるため少くとも速度を落して、何時でも避譲の措置をとれるように十分な配慮をすべきものである。被告井口にこの配慮か欠けていたことは前段認定の事実からみて明らかであるから、本件衝突は被告井口の運転上の過失に基因するものといわざるを得ない。また、交通頻繁な道路を横新しようとする者は、交通整理標識のある横断道路による場合は別として、十分往来の諸車に注意して危険のないことを確認してから横断すること、危険のあるときは一時避譲して自動車の通過を待つとか、自らも危険の発生を防止するに必要な措置をとるべきものであることは云うまでもないことであるから、前段認定のように、被害者まつが約十五米前方で警笛が鳴らされているのにこれを無視して横断したことは同女の過失たるを失わない。被告等はまつが横断歩道以外の個所を斜横断した点も過失であるという。まつが横断歩道以外の個所をやや斜に横断していたことは前段認定のとおりであるが、証人坂井三郎の供述によれば、本件事故現場の附近には横断歩道が設けられていないことがわかるので、この点は敢てまつの過失という程のことではないと認める。

(二)、被告両名は連帯して本件事故によつて生じた損害を賠償する責任がある。

本件事故は右に判断したとおり、被告井口の過失に基因するものであるから、同被告に損害賠償の義務があることは疑がない。しかして、本件事故が被告会社の食料品運搬の帰途に惹起されたものであることは被告等の自認するところであるから、井口被告が原告等主張のように被告会社の被用者であるとすれば、被告会社もまた被告井口と連帯してまつの死亡によつて生じた損害を賠償すべき義務があるものといわねばならないので、以下、この点について判断する。

井口被告の運転していた小型貨物自動車が被告会社の所有に係るものとして所轄官庁に届出がしてあることは被告等の自認するところであるし、成立に争のない甲第十六、第十八号証によれば、被告井口及び同乗者の荻島正一は警察官の取調に対して自分等は被告会社に勤務している者であると供述していたことが認められ、これらの事実に原告本人小泉勝及び小泉武の各供述をあわせ考えると、井口被告は被告会社に雇われていた運転手ではあるまいかという強い疑がつきまとうが、本訴にあらわれた証拠関係の下においては、これはあくまで疑いであつて、原告等の主張するように、この点を積極に肯定することは困難である。むしろ、成立に争のない甲第六号証の一、二、乙第三、第四号証、第五ないし第七号証の各一ないし三、証人土屋英樹の供述(第一、第二回)により成立を認めうる乙第八号証の一、二同第九号証の一ないし三、同第十号証、証人土屋英樹(第一、第二回)、吉野一雄、荻島正一、久保田和作、松本多郎兵衛、中井辰吉及び被告井口宏の各供述を総合すれば、被告井口は被告等の主張するように、訴外土屋英樹の経営する土屋自動車店に雇われていた運転手であつて、被告会社に雇われていたものでないことが認められ、また、土屋自動車店の自動車は被告会社名義で登録されてはいるが、それは被告等主張のような事情による便宜の措置であつて、実体上の所有者は土屋英樹であることが認められる。成立に争のない甲第二十四号証及び同第二十六号証その他原告等の全立証によつても右の認定を覆すに足りない。

しかしながら、被告会社がその取扱う食料品を土屋自動車店(被告等は土屋運送店という)に一手に運搬させていたこと、土屋自動車店が被告会社の建物の一部を借受けて営業していたものであることは被告等の自認するところであつて、しかも証人土屋英樹(第一、第二回)、松本多郎兵衛、中井辰吉の各供述と原告小泉勝及び小泉武の各供述の一部を総合すれば、訴外土屋英樹は約二十年前から被告会社の倉庫の一部で運送業を営んでいて被告会社とは別懇な間柄にある者であつて、自動車は被告会社の車庫に入れ、被告会社の電話を使用している。そして、いわゆるその営業所たる倉庫の一部にも土屋自動車店の看板はなく、その使用する自動車は前記の如く被告会社の名義で登録され、その車体にも被告会社のマークが入れてある。井口被告その他の従業員は被告会社のはつぴをつけ、「国分商店ですが………」といつて被告会社の顧客先へ被告会社の商品を配達していたものであつて、土屋自動車店は専ら被告会社の商品を運搬し、ときたま知人の依頼でその引越荷物を運搬する例がある外は全然被告会社以外の者の物品の運搬を取扱つたことがなく、他方被告会社からの運搬の申入れを断つたことも未だかつて絶無なることが認められ、しかもその運搬は被告会社の指示する緩急の順序に従つてなされていたことが認められる。これらの事実からすれば、土屋自動車店は実質的に観て被告会社の企業組織のうちに包摂吸収されて、事実上、被告会社の運送部門を構成していたものと認めるのが相当であるし、また、土屋自動車店が被告会社の意思に服してその商品の運搬にあたつていたことも容易に推測できるところである。

ところで、民法第七一五条は被用者が使用者の事業の執行につき第三者に加えた損害については使用者も被用者と連帯してその損害を賠償すべき義務があることを定めている。右の使用関係は雇傭、委任等の法律関係によつて設定されるのが普通であるが、常に必ずしもこうした法律関係の存在を必要とするものではない。これを企業の場合についていえば、雇傭、委任等の法律関係は、それによつて第三者を企業組織のうちに吸収し、その第三者の活動が企業そのものの活動となるような実質的な関係をつくり出す点に使用関係設定要素としての法律上の意味があるのである。従つて、企業主体と特定の第三者との間にこうした実質的な関係が現に生じている場合には、法律関係の有無にかかわらず、両者の間にはいわゆる使用関係があるとみて差支ない。

被告会社と井口被告との間には何ら直接の法律関係はないけれども、土屋自動車店は実質的にみて被告会社の企業組織の一部をなしているのであるから、井口被告の自動車運転手としての活動は土屋自動車店の活動であると同時に、土屋自動車店をその企業組織のうちに吸収している被告会社の企業活動の一部でもあるのである。この意味において、被告会社と井口被告との間には直接の法律関係はないが、なお、そこに法律の予定する使用関係が存在すると観なければならない。いわゆる使用関係には選任監督ないしは指揮命令の関係が伴わなければならないといわれているが、前認定のように土屋自動車店が被告会社の企業組織の一部であり、その経営者の土屋英樹が被告会社の意思に従つてその商品の運搬に従事しているものである以上、被告会社はその部課長を通じて一般従業員を指揮監督すると同じように、土屋英樹を介して土屋自動車店の従業員である井口被告等に対してもその指揮監督を及ぼしているものとみるのが相当であるから、この点においても使用関係の成立に欠けるところはない。なお、被告等は土屋自動車店は被告会社の商品運搬を請負つているものであるというが、この点に関する被告等の立証は不十分である。のみならず、請負人が請負工事について第三者に加えて損害について注文者が損害賠償の責任を負わないのは、それが請負という法律形式をとつているためではなく請負人が社会的な実質関係においても全く注文書から独立して請負工事を行つているとみられるためであるから、被告会社と土屋自動車店の法律関係が仮りに請負であつたとしても、土屋自動車店が被告会社の企業組織の一部に吸収され、その社会的実質において全くその独立性を失つていること前認定の如くである以上、被告会社はそれが法律上の請負なることを理由として民法第七百十五条の使用者責任を免れることはできないものと解するのが相当であると考える。

右のとおりであるから、当裁判所は、被告会社は被告井口の使用者として、同被告がその過失によつて惹起した本件事故によつて生じた損害を同被告と連帯して賠償する義務があるものと認める。

(三)、損害額と慰藉料請求権の相続性

成立に争のない甲第四号証によれば、被害者まつは事故当時六十七歳で、原告等はいずれもまつの実子であることがわかる。そして証人坂井三郎、原告小泉勝及び小泉武の供述によれば、まつはかなりの年ではあるが至つて健康体であつたこと、原告勝は時計卸業を営み、毎月約千五百万円位の取引があり、原告武は同業者として兄の勝を助け、原告喜代子、ちか子、公枝の三名はいずれも相当な家庭に嫁して中流以上の生活を営んでいること、まつは主として勝の家庭にあつてその商売の手伝などをしながら幸福な境遇にあつてその余生を楽しんでいたことが認められる。本件事故によつてまつ本人はもとより原告等も深刻な精神的苦痛を蒙つたことは当然であるから、右認定のまつの年令、健康、生活状況、原告等の境遇その他諸般の情況と本件事故が前認定のように被告井口と被害者まつの共同の過失によつて生じたものなる点を参酌して、まつに対する慰藉料は金十五万円、原告等のそれは各自金十万円をもつて相当と認める。そして、原告等はまつの相続人であるから、まつの死亡により右の慰藉料請求権を相続し、各自金三万円の割合で右の請求権を承継取得したことになる。

大審院の判例に従えば、慰藉料請求権は被害者がその生前に行使の意思を表明した場合に限つて相続の対象になるものとされている。本件の場合には被害者まつがこうした意思を表明した事跡はないのであるから、右の判例に従う限り、まつの慰藉料請求権は相続性を欠くことになるが、こうした解釈が正当なものであるとは思われない。この点はすでに学者の指摘するところであるから(例えば、我妻栄氏「慰藉料請求権の相続性」法学志林二九巻一一号参照)、ここでは詳論をさけ、判例の解釈に従い得ないとする理由の要旨を左に摘記する。

(1)  民法は不法行為による損害賠償について財産上の損害賠償と精神上の損害賠償とを別異に取扱つていない(七一〇条参照)。そして、財産上の損害については、判例は即死の場合でも被害者は得べかりし利益の喪失による損害賠償請求権を取得し、この請求権は被害者の死亡によつて相続されるものとしている。慰藉料請求権についても、被害者が不行使の意思を表明しない限り、その相続を認めて然るべきである。

(2)  もし慰藉料請求権についてその一身専属性を強調すれば、被害者が死亡した場合には慰藉の客体を欠くことになるから、被害者がその生前に権利行使の意思を表明していた場合にもなお相続人によるこれが行使を否認すべきものであろう。こうした立場をとつても慰藉料請求権の不承継は民法第七一一条の規定による被害者の近親の固有の慰藉料を定める場合にはひとつの増額要素として考慮されることになるから、実際上、慰藉料請求権の相続性を認める場合とほぼ同一の結果を収めることができるかも知れない。しかし、七一一条は近親の範囲を限定しているので、被害者の祖父母や孫が相続人である場合にはことの結果に重大な差異が生ずることになる。この差異をみのがすことは妥当でない。

(3)  判例の立場は実際論としてきわめて不当である。比較的軽傷の場合には請求権行使の意思を表明することもできようが、即死の場合や重大な衝撃をうけて人事不省に陥つたような場合にはもはやどうにもならないことになる。

判例の立場は修正さるべきものと考える。被害者まつに権利不行使の意思があつたことを認むべき資料は何もないから、原告等は、前記のとおり、まつの慰藉料請求権を相続したものと判断する。

また、証人坂井三郎及び原告小泉勝の供述並びに右供述により成立を認めうる甲第二十三号証の一ないし四によれば、原告小泉勝が治療費、通信費、葬儀費用等として少くとも金八万四千九百四十六円を支出したことが認められるので、被告等は原告勝に対しては右の損害をも賠償する義務がある。この点について、被告等は人間は何時かは死ぬものであつて、いずれ葬儀費用の支出を免れないのであるから葬儀費用については損害の賠償を請求できないという。明文の規定のないわが民法の解釈としては、子が親の葬儀費用を支出したような場合には解釈上疑がないではないが、この点はすでに判例上確定されたところであり、これに従うのが相当であると思うので、被告等の右の主張は採用しない。なお、被告等はまつの死亡によつて原告等は扶養の負担を免かれたから、賠償額のうちから扶養料を控除すべきものであるというが、原告等が具体的に如何なる範囲で扶養料の支出を免かれたかについては被告等の主張立証が全然ないから、この主張も採用できない。

(四)、むすび

以上の理由により、被告等連帯して原告勝に対しては固有の慰藉料金十万円、相続によるまつの慰藉料金三万円及び葬儀費用等金八万四千九百四十六円以上合計金二十一万四千九百四十六円、その他の原告に対してはそれぞれ固有の慰藉料金十万円、相続人によるまつの慰藉料金三万円合計金十三万円及びいずれもこれに対する訴状送達の翌日たること記録上明瞭な昭和二十八年一月二十二日から支払済まで年五分の割合による遅延損害金を支払うべき義務があり、原告等の本訴請求は右の限度において理由があるので、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第九十二条、第九十三条、仮執行の宣言につき同法第百九十六条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 石井良三 高橋久雄 石川良雄)

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